飲食店を始めてはいけない人

体験談

25年ほど前の事かな…深夜3時頃に突然電話が鳴る。
受話器を取ると昔の先輩で久しぶりの電話。

要件は、「自分が料理長をやっているホテルから独立した若いのが、レストランを始めたのだが、キッチンが“総上がり”してしまった。たまたま明日は断れないランチ12名の予約を受けており、何とかして欲しい。」総上がりとは、店舗の経営者側と調理責任者との意見が合わず、喧嘩になり調理スタッフ全員が突然辞める事である。

小生は深夜の事で、昨夜の酒も抜けてない。

概ね、総上がりした後の厨房は凄惨を極める事が多く、料理する人間のやる事とは思えない様な事をする。料理長が居た時に作ったソース類は全て床にぶちまける。冷蔵庫や冷凍庫にある食材は全て使えなくする。酷いのに至っては、店所有の包丁は全て柄の所から折る。

大昔に訳も分からずに先輩に連れられ、そういった光景を見習いの頃、一度見ている。

掃除から始めないといけない…また、変わった店で、“箸で食べる洋食”がコンセプト…なんだかねぇ…。

ランチの予約は13時で今は午前3時過ぎ…総上がりなので、厨房が使えるようにするまで1時間は覚悟。仕込みは0として12名のコース料理。昼食に一人3,800円も払ってくれると云う、素敵な人達の集まり。

無理やろ…大事な先輩だけど、丁重にお断りした。

っが、報酬が15万円だと云う…よろこんでやらせて頂きますっ!!酒の匂いをプンプンさせて、朦朧とした意識の中で服を着て、先ずは店を観に行った。
店に着いたのが午前4時過ぎ頃だったと記憶している。

オーナーとオーナーの奥さんが厨房を掃除していた。
あらかた片付いていたが、元は凄惨だったと思う。
オーナーの奥さんは泣いていた様に見える。
聞くと、ホールスタッフも総上がりしている。
オーナー夫妻以外誰も居ない。

肉魚野菜なども既に廃棄されており、冷蔵庫は空っぽ…几帳面な料理人らしく、調味料は殆ど水浸しで使えない。食器は半分以上が割られており、使えるものが少ない。
やはり無理かも…引き受けた事を後悔した。


午前五時頃、困ったを連発していても前に進まない。
時間は刻々と進んでいく。
聞くと、オーナーの奥さんの“ママ友会”だそうだ。
「そんなものは身内に死んでもらって断ればいいのに…」と思うのだが、そうは行かない様である。最寄りの場外市場を頭の中で模索するが、どこも片道で一時間以上は移動に要する。

仕込みの時間が無くなる…市場の近くに住んでた後輩の事を思いつき電話で叩き起こし、内容を話して「何か買って直ぐ来い!」当然、その後は強制的に手伝わせるのは言うまでもない。15万円の報酬からいくらかやれば納得するだろう…。

先ず、近くのコンビニを廻り使えるものを探す。
乳製品類、パン類、穀物類など、使うかどうかは後回しで時間勝負なのでセルフかごにガサガサ入れるだけ。後輩が到着して買って来た物をサクサク仕込む。あまり手の込んだ事は出来ない。近くに食品スーパーがあったが10時にオープンである。事情を話し何とかこじ開けて入店したのが8:30頃。足りない物を補充する。

食器は倉庫の奥に災難を免れた、少し大きめの九寸皿が未使用で置いてあったが、何故か11枚しか無い… 予約は12人…すんなりいく事が一つもない…イライラ病を発症寸前!オーナーとオーナーの奥さんがホール作業をする事に気付き、奥さん一人分が減って何とかクリア!

何を作ったかは、てんで覚えがない…まぁ、くだらないモノであった事は間違いがないな。
ご飯物で“鯵ご飯”を出したら、人数分しか炊いてないのに“おかわり!”とか言われて、揉めてた記憶はある…それはホールの仕事だから私は知らん…。

最後のデザートを無事に出し終えて、オーナーと話せる状況になった。
オーナーは、誰もが知る一流ホテルに勤めていた。
永年の夢である「自分の店」を建てる為、夫婦で切り詰めて生活し40才になった区切りでホテルを退職して店を出したようだ。20年近く掛けて二人でコツコツ貯めた預金を全て投げ出し、また、国からお金を借りる為、個人向け公的融資制度を全て使い、満身創痍の状態で開店したようだ。

お店は開店してまだ一年も経たない。
総上がりの原因は給料の遅延であるという。
大分前から厳しかったのである。

オーナーは一流ホテルに勤務していたが、購買担当だった。
調理は一切できないが、ホテルへの納入業者には顔が効く。
納入業者は、独立した時の協力を約束したのであろう。
相手は商売、当然である。

約20年に亘り培った人脈が、悪い方へ転嫁し破滅へと導いたのかもしれない。
ホテルに勤めていれば仕入れの事だけを考えればよいが、個人店になると仕入れ以外の事も当然考えないといけない。集客については無知である。

恐らく、雇われシェフとオーナーで立場が逆転し、魅力ある飲食店への提案も出来なかったのではと思われる…全ての原因は、一流ホテルで20年務めた経験に頼った“過信”にある…

半年して、オーナーと再会する機会があった。
現在は店を閉めて莫大な借金を返済する為、いくつものアルバイトを同時にこなし、昼夜を問わず働いているらしい。この男が、再びオーナーと呼ばれる日は無いだろう…一人の男の人生が、今、詰んだのである…。

※因みに、報酬の15万円は貰えなかった…小生を躍らせる先輩の嘘であった。
以後、その先輩からの電話を受けないのは言うまでも…ない…。

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